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西郷隆盛と小沢一郎

小沢一郎氏不起訴のニュースを見て感じたことを今日は書きます。

明治10年2月3日、西南の役はここに端を発しました。

西郷の弟子たちは徒党を組み兵器火薬庫を奪います。官軍との正面衝突となり、このことが西郷隆盛に知らされたのはくしくも133年前の、2月3日。

西郷はこの日も好きな狩猟のため、犬を連れて出かけていました、電報に驚き、急いで自宅に帰って来ます。そして暴動を働いた生徒の主だった者を庭先に集めて、一通りの報告を聞きいた上で、「おはんたちは何たることを仕出かしたか」と大声一渇くらわしたといいます。

血気にはやる青年が、西郷のため、郷里のためと考えてやったことでしたが、この上は、愛する私学校の弟子多数を罪人として差し出すか、敗れるとわかってる反乱を選ぶかでした。

西郷の決断は「愛する弟子たちに、自分の命をくれてやる」という選択でした。そして、西南の役の火蓋が切られたのでした。

私学校生を見殺しにできなかった愛の人、西郷隆盛。この方の魂の器の大きさは、西南戦争の善悪を超えて語り継がれています。

かたや、小沢一郎氏に絶対服従で尽くした三人の秘書は、一人また一人と逮捕されていきました。小沢氏は三つの尻尾を持つ爬虫類なのでしょうか。「全ては、秘書が勝手にやったことです。」「私は、実務には全くかかわっていません。」といわんばかりの態度。西郷隆盛とは、好対照です。

小沢一郎という人物は、後世に「自己保身の醜さ」を教える反面教師となるか、パウロの如く回心されるかが注目されています。小沢一郎という大物政治家が後世どのように、評価されるかはこの一点で決まります。潔い大物政治家として、引退され死後、「悪魔」になられないことを強く望みます。

私は、小沢氏に誠心誠意のぞみます。

「小沢一郎幹事長殿、回心によって大政治家の引き際の美学を国民に示していただきたい。」

以上です。

皆様からの投稿をお待ちしております。





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